写真表現

カレンダーの写真を季節の表現作家として評価の対象にしたことがあるだろうか。季節の表現は被写体を安易な観点から選ぶことによって容易に達成できるものとして認可されているようである。例えば春は桜、夏はビーチ、秋は枯葉、冬は雪景色といった具合である。しかし、このお決まりの被写体選択にマンネリを感じ、写真入カレンダーを毛嫌いする人も少なくない。写真そのもののクオリティーに注力するのはよいのだが、その前段階で重要となる被写体への練りが安易であるため、作品の全てが低次元なレベルで終わってしまう。写真表現はテクニックが支配するものではなく、そこに描写される映像が全てであり、それに支配されるものである。この当然のことが写真の撮影という行為において最も重要な要因として認可されていないのは不思議な現象である。撮影にみる本末転倒は世の機構を象徴するような現象に感じるのは私だけだろうか。